「パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる」
ある新聞にホームレスの方の歌が載っていました。
 政治も経済も教育も社会も、混乱と閉塞の霧の中であるといわれています。
 今は、じっと、暗い闇の底から上を見上げて、青空を流れる雲に望みを託し、
まず身近な方々と手を携えて、あたたかい家族や地域づくりの種まきをする時かもしれません。
へちまの種をまこうかな
どんどんのびて実をつけて
風にふらふら揺れたなら
隣で泣いてる赤ちゃんの
ごきげん すっかり直るかな(胃空)

2018/09/15

永続的リンク 08:55:31, 著者: ikuu メール , 語, 1 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: ささやかな願い

しあわせの五七五


「おーい 雲よ 231」
             鋤柄郁夫
 しあわせの五七五
 
草むしり
  ホントは悩み
    むしってる

『しあわせの五七五』(近藤勝重著・幻冬舎)という川柳の本の中の一句。
本と同名の人気ラジオ番組(毎日放送)があり、放送された中の秀句を集めた本で
あるという。
 近藤勝重氏は、毎日新聞の論説委員など重要なお仕事を歴任されておられ、文
章表現についても『文章がうまくなる13の秘訣』など名著があり、早稲田大学でも教えておられる。
 近藤氏は、川柳は「気どらず・素直で・隠し立てしない」ざっくばらんな文芸で、侮れない力を秘めていると力説されておられ、本の表紙に次の句も紹介している。

 足して引き
  ひとつ残れば
     いい人生

ある老人クラブのお茶のとき、異常な暑さをぼやきながら、こんな不満が噴出したことがあった。
  「…日本も世界も、リーダーはなんだか自分のことばっかり考えているみたいだなあ」
 「…頭のいい人が悪いことしたり、やたらに人を殺したりしてやりきれん」
 「…便利な世の中になったけど、なんだかみんなイライラしてるよね」
 その時、黙っていた方が「こんな時は、漫才か落語でも聞いて、笑い飛ばすに限るに!」と言われ、「そうだ そうだ」と大笑いになった。
 故齋藤茂太先生はじめ多くの専門家が、「笑いは心身の一番の薬」と言われているけれど、確かにそうだなと思う。

 ひとりごと
  増えてきたなと
      独り言
 いくつかの
  角を回って
     角が取れ
 土いじり
  人間らしい
     顔になる 
 句(く)心(ごころ)が
  ボーッと暮らす
     二人変え

 『しあわせの五七五』には、こうした名句が載せられているが、「おわりに」でラジオ番組の司会を長く務めてきた水野晶子さん(MBSアナウンサー)が、こん文を寄せている。
 「…かつての近藤さんといえば、グリコ・森永事件のような大事件の特ダネを展開したバリバリの事件記者。
 オウム事件当時は、週刊誌編集長として命の危険にさらされながらの激務でした。
 そんな近藤さんを変えたのは、ご自身の病だっただろうと思います。命の限りというものを眼前に突きつけられ、近藤さんは「駆け抜ける」生活から、「ゆっくり歩く」生き方にシフトチェンジしました。
 その時に、近藤さんを支えた一つが川柳ではなかったか、と私は見ています。

 しあわせは
  いつもと同じ
     朝にあり

 この本をきっかけに、土曜朝のラジオ番組にどうぞご参加ください。早起きした朝は、上を仰げば、

 何もかも
  それでいいよと
     澄んだ空

に出会えますよ。」

           (松川町元大島)
 

2018/08/25

永続的リンク 09:26:51, 著者: ikuu メール , 語, 4 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: ささやかな願い

戦没者慰霊・平和式典


松川町戦没者慰霊・平和記念式典が100人ほどの方々が
参集されて行われた。
声をかけていただいたので、戦没家族の一人として拙い話を
させていただいた。
小学生の頃、先生にいわれて桜の下でアルミの弁当箱を潰し
ことから、第二次世界大戦の凄まじい様子や、若き特攻隊員が
月明かりで書いた遺書を残して散っていったことなどを
パワーポイントで写真を写して話をさせていただいた。
弁当箱を潰した座光寺の舞台は今年も美しく咲き、その下で
入学した息子を
若い夫婦が写真を撮っている光景も見られた。
こんな平和が長く続くことを 心を込めて話させていただいた。

2018/08/24

永続的リンク 10:02:38, 著者: ikuu メール , 語, 4 回閲覧   Japanese (JP)
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元夜間中学校教師のご講演


「おーい 雲よ 230」
           鋤柄 郁夫
命の光を輝かせる
  ~元・夜間中学校教諭~

「…僕が長年勤めた学校は、一クラスが
八人の生徒さんです。年齢は十代から八十七歳の方もいらっしゃいました。
 学歴、病歴、仕事歴、国籍など違った環境の方々が、机を半円形に並べて、みんなの顔がお互いに見えるように授業をやっておりました。…」

 五月に行われた「下伊那教育会総集会」
の講演で、松崎運之助先生(元・夜間中学校教諭)は、こう話し始められた。
 先ず驚かされたことは、「生徒さん」「いらっしゃいました」という言葉遣いであった。
 松崎先生のこの温かさは、講演の終りまで貫かれていたが、始業になっても教室に誰も生徒が来ていない時のお話に象徴されていた。
「…生徒さんが教室にいないくらい教師にとって恐ろしいことはないですよ」と言われたあと、ドアがガラッと開いて一人の生徒が入って来た時の気持ちをこう語られた。
「…その時の嬉しさったら。走って行って、いらっしゃいませって頭を下げて、もう席までご案内したくなる。どんなに憎まれ口をきく子であっても、肩を揉んであげたい気持ちになりますね。
 ありがとうって。こっちが嬉しいです。
来るのが当たり前じゃないんすよ。
 いろんな環境の中で、いろんな複雑な気持ちを抱え、それと闘いながら、涙をい
いっぱい心にためながら、それでも登校してくる生徒さん…。だから、嬉しくてたまらないんです。…」

 先生は、1945年に旧満州で誕生された。
長崎市の中学校を卒業後、造船所で働きながら、定時制高校に通う。
 その後、上京して働きながら明治大学二部文学部を卒業し夜間中学校の教師となる。
 2006年3月に定年退職後は、執筆、講演活動を始められる。
 山田洋次監督の映画『学校』では、西田敏行が演じた主人公のモデルであり、製作協力もされた。

 「命の光を大きく輝かせるために」という演題でのお話は、夜間中学校での松崎先生と生徒さんとの魂の触れ合いが語られ、感動と反省が心の中に渦巻くご講演であった。
 例えば、七十代の女性の生徒さんが、「花」という字の読み方を知りたくて、茶髪でズボンをずり下げてパンツが見えそうな兄ちゃんに、「ちょっと、あんちゃん、あんちゃん」と追いかける。
 逃げ回っていた兄ちゃんが、「しかたねえなあ」と教えると、「あんちゃんって本当に優しいねえ。本当に頭がいいねえ」と、ご婦人に深々と頭を下げられて、戸惑いながらも心を開いていく話。
 一つ一つの実話の底に、先生の極貧だった子供時代と、それを支え続けたた母親の姿が滲んでいた。
 「“待つ”と言うことがとても大切です」とにこやかに語られた先生は、終りに
聴衆の先生方の健康を気遣われて、深々と礼をされた。

         (松川町元大島)




永続的リンク 09:59:57, 著者: ikuu メール , 語, 4 回閲覧   Japanese (JP)
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moto


2018/08/10

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画家・不染 鉄(2)

(「不染鉄之画集」求龍堂より)
「おーい 雲よ 229」
            鋤柄 郁夫
 ・・・だけどいいよねえ
~画家・不(ふ)染(せん) 鉄(てつ)~(2)

上村松篁(うえむらしょうこう)(日本画家)と生涯の友人と      なった不(ふ)染(せん)鉄(てつ)は、「寒林白鷺」という共作の絵を遺している。
寒々とした冬木立を不染が描き、そこを飛ぶ愛らしい白鷺を松篁が描いた見事な作品である。
 たびたび上村家を訪れた不染を、松篁はこう語っていたという。
「不染さんは聡明で正義感の強い人だった。世の中の裏と表を知っているので人を見抜く眼力があった。
不染さんは私の生涯に、もっとも影響を与えた得がたい親友であった」と。

京都市立絵画専門学校の本科を主席で卒業した不染鉄は、伊豆でスケッチした「山海図絵」という堂々たる大作(帝展出品)を描き上げる。
 中央に富士山、背景に雪の山々、裾野の家々、走り行く汽車、広がる海、浮かぶ舟……思い出を、緻密な筆捌きで描いた代表作である。
36歳の時、不染は奈良の西ノ京に移り住み、唐招提寺を描いた「奈良秋景」や「薬師寺東塔之図」など、悠久な時の流れに取り組む。
 妻を亡くしたこともあってか、岡田村の思い出を墨一色で描いた海の絵は、大
海原をたゆとう帆船が描かれ、不染の人生観が滲む。
       (一行分あける)
 晩年の不染について、松川綾子(奈良県立美術館学芸員)は、こう述べる。      
「…不染は、自らの心と向き合い思索の時を過ごした。ありとあらゆるものに森羅万象の神秘を感じとり、過去を振り返り、今は亡き人達との対話を重ねながら、まだ見ぬ彼岸へと思いを巡らせていった。(略)
夢と現実の間で夢想した思い出の風景は、静寂の夜の情景から、いつしか憧れの浄土へと集約されていった。…」
(『不染鉄之画集』求龍堂)
憧れの浄土を故郷に託して描いた『落葉浄土』に漂う静かな安らぎ。              
無縁仏に懐かしい人たちを思う『春風秋雨』には、言葉も添えられている。               
この言葉(部分)を絵に重ねて読むと、鈴木大拙が「日本的霊性」と注目した浅原才市のごとき妙好人の世界に辿り着いた不染鉄の境地が思われる。

「…お墓は寂しというけどそうではないよ。色々な人が沢山いて、とてもにぎ
やかだよ。男も女も若い人も年寄り赤ちゃんどんな人もいるねえ。…       
此の世にいる時は、やさしい美しい人もいたろう。見たかったなあ。がめつい     
奴もいたろう。実にいろいろだったろう。
今は皆な仲よく喧嘩もしない。いじ悪もしない。この方がいいねえ。幸せとはこれをいふのか。
ああ なるほどなるほど そうか。 それだから極楽と言ふのか。……」
 そして、絵の隅っこに、あえてこんな一文が書き込まれてれている。
          (一行分あける)
「有名になれず こんな絵を描くようになっちゃった。だけどいいよねえ。」

          (松川町元大島)

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