「パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる」
ある新聞にホームレスの方の歌が載っていました。
 政治も経済も教育も社会も、混乱と閉塞の霧の中であるといわれています。
 今は、じっと、暗い闇の底から上を見上げて、青空を流れる雲に望みを託し、
まず身近な方々と手を携えて、あたたかい家族や地域づくりの種まきをする時かもしれません。
へちまの種をまこうかな
どんどんのびて実をつけて
風にふらふら揺れたなら
隣で泣いてる赤ちゃんの
ごきげん すっかり直るかな(胃空)

2018/06/08

永続的リンク 17:39:51, 著者: ikuu メール , 語, 3 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: ささやかな願い


「おーい 雲よ 225」

蕗(ふき)の葉(は)       鋤柄郁夫

蕗の葉を
 傘にさしたる
  蛙哉  正岡子規

 春先にいただいた蕗(ふき)の薹(とう)の鉢を、風呂                       
場に置いて楽しんでいたら、蕗の薹が終                       
わった根元から、蕗の葉がどんどん出て                      
きて伸び始めた。
 その葉が大きく開いて、太陽の光をい                                             
っぱいに吸収しようとしている姿をみて                       
いると、あまり気にしなかった葉の存在                       
を見せつけられた気持ちになり、理科で                       
勉強した「光合成」に思いが至った。                        
 葉の中の養緑体が、根から吸い上げた                       
水と気孔から得た二酸化炭素に光を受け                       
ることで、養分と酸素を作り出す働きか                       
と覚えている。
 自然のもつ神秘的な営みには驚嘆する                       
ことばかりであるが、「光合成」もその                       
一つだ。                                                                                                                     
植物が、二酸化炭素を吸引して酸素を                      
放出し、自分を育てる養分を作り出して                       
いるのだと思うと、周りの雑草雑木の葉                      
っぱの一枚一枚にも、敬意の気持ちさえ                  
わいてくる。                                                                  
そして、もし人間も心の中に様々な葉
育てることができたら、その「光合成」                        
によって、さぞ豊かな人間性が育まれる                       
のではなかろうかといった妙な妄想がわき上がる。                                               

そんなとき、『宮澤賢治に聞く』(井上ひ                                
さし著・文春文庫)に出会い、我が妄想に著                         
者が光を与えてくれたような気がして、                        
ほくそ笑んだ。                       
 この本の冒頭に、“賢治は人間の手本                        
である”と題して、大要こう書かれてい                        
たのである。
 「……賢治は科学者でした。けれども                        
科学が独走するとろくなことにはなりま                       
せん。科学がはしゃぎたてるのを誰かが                        
いましめなければなりません。賢治のな                        
かで、その役目をはたしたのは宗教者と                        
しての部分でした。(略)                                                                     
賢治のなかでは、この二つのものが互                        
いのお目付役をつとめていたように思われます。                   
そしてこの二つのものの中間に、文学                        
がありました。(略) 賢治は、人間は多                         
面体として生きる方がよろしいと説いて                       
いるようにみえます。
野に立つ農夫も四六時中、農夫であっ                        
てはつまらない。それでは人間として半                        
端である。朝は宗教者、夕べは科学者、                         
夜は芸能者、そういう農夫がいてもよい                        
のではないか。
科学も宗教も労働も芸能もみんな大切                       
なもの。けれどもそれらを、それぞれ手                        
分けして受け持つと、独走してひどいことになる。                       
一人がこの四者を、自分という小宇宙                       
の中で競い合わせることが重要だ。(略)                         
賢治がそう言っているような気がして
なりません」

今や世界は、私利私欲の果てに暴走の                       
坩堝(るつぼ)と化している。                                  
政治家や官僚、科学者や企業家、教育
者や公務員も、哲学や宗教、芸術や自然                        
学などの感性も身につけた、豊かな多面                       
体としての人間性が切望されているので
はないか……。
 風呂場の蕗の葉が、妄想から妄想を生
み出してくれる。

花桐の
 こぼれし蕗の
  広葉かな 川端茅舎

         (松川町元大島)



2018/05/26

永続的リンク 17:57:32, 著者: ikuu メール , 14 語, 6 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: ささやかな願い

「おーい 雲よ 224」
           鋤柄郁夫
野アザミの花束
 
 「先生、遊びに行っていい?」     
今年の3月、突然M夫君から電話がか
かってきた。
 「どうぞ、いつでも……」と、近くからだと思い込んで話をしていると、なんとデンマークからだという。
 驚いて状況を聞き、再会の約束した。
 M夫君との出会いは、45年前、A中学校で担任した時にさかのぼる。
 素直な愛嬌のある少年で、溢れる思い出の中にこんなことがあった。

 45年前、A中学校に赴任したばかりの4月、前任校で担任していたS子さんの訃報が届いた。
 私は新学級の生徒たちに、S子さんのことを話し、今夜、飯田のお家へ行き線香をあげるつもりだと伝えた。
 勤務が終わり、山を駆け下って駅の近くまで来た時、石垣の上にクラスのM夫君が座っていた。
「先生、これ!」と差し出したのは、野アザミの花束だった。
「家の山へ行ってお母さんと取って来で、S子さんに供えてくんナ」
 その時の照れくさそうなM夫君の顔は、
生涯忘れられない。

 3月、M夫君は格好いいコートに身をつつんで現れた。
 デンマークで結婚して二女に恵まれ、服飾デザイナーをしているという。
 「このコートも自分で作ったんナ」と、にんまり笑うM夫君の顔は、中学時代のそのままだ。
 警報器を突いて大騒ぎをしたこと、柿を取ってお婆さんに怒られたこと、野アザミの花束のこと・・・思い出話は尽きず、以後の外国での放浪生活を含めて、時を忘れて語り合った。
 
 1週間ほどして、デンマークからこんなメールが届いた。
 「……僕は、先生に会いに行く前に、こう思いました。先生に会うことで、今まで自分が歩んできた時が、大きな輪を作って、一つの円になるような気がしたのです。
 先生は、“お前たちは、お前たちのままが良い。そこに価値がある。それを大切にしろ” という気持ちを、僕たちに持たせ
てくれました。
 きっと、先生があの亡くなられたS子さんの話をされた時、その女生徒さんを思う先生の気持ちは、僕たち一人一人を思っていてくれる気持ちと同じものだと感じたのかもしれません。
 だからあの頃の僕たちは、あんなに自由になれたのだと思います。(略)
 生意気のようですが、先生が俳句とかが好きなのも、人それぞれの心からのもの、またその違いを大切にされているからだと思います。(略)
 先生に会えて、また中学生の頃の様に、自由に自分らしく、こんどは父親から爺に脱皮していけそうな気がしました。
 ありがとうございました。  M夫
      (一行分 あける)
 私は、メールを繰り返し読みながら、彼の人生行路に思いを馳せ、立派に成長した生徒との邂逅(かいこう)に心から感謝した。
 そして、M夫君のメールよりもはるかに長いメールを、デンマークに向けて返信した。

          (松川町元大島)

2018/05/20

永続的リンク 09:55:20, 著者: ikuu メール , 語, 7 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: ささやかな願い

下伊那教育会総会


5月19日(土) 文化会館で「下伊那教育会総会」が
開催され 出席させていただいた。
立派な総会が 滞りなく行われた後、研修講演として
元 夜間中学校の教師だった松崎運之助先生(72歳)
が、「命の光を大きく輝かせるために」と題してお話
くださった。
あたたかく深いお話に元気をいただいて帰路についた。

2018/05/11

永続的リンク 14:56:15, 著者: ikuu メール , 1 語, 8 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: 人間らしくほっとする話

ポンコツの母なれど・・・

「おーい 雲よ 223」
            鋤柄郁夫
ポンコツの母だけど・・・
      ~ 溢(あふ)れでる短歌 ~

深夜 小さな子を
連れ帰る
ホステスに母親の顔
ふんはり戻る 邦男

 高山邦男さん(58歳)は、深夜のタクシー運転手として勤務しながら、昼間は83歳になる母親・孝子さんと二人で暮らしている。
 大学卒業後、入社したものの競争社会になじめず運転手になった。
高山さんの楽しみは、車窓から見る夜の東京の情景や、お客さんとのやりとりを短歌に詠むことだった。      
そうして紡ぎ出された歌には、人の弱さに寄り添うぬくもりがあり、「日本歌人クラブ新人賞」を受賞した。
 そんな高山さんであるが、母親が6年ほど前から認知症が悪化し始め、歌はもっぱら孝子さんの介護生活から生まれるようになった。
 『目撃!にっぽん』(NHK)は、高山さんと母親のありのままの姿を、実に丁寧に映し出す。(写真はその中の終りの一場面)

真直ぐに行って
右への突き当たり
母には遠い
トイレへの道

 母にトイレの使い方を何度も教え、廊下にテープを貼って方向を示してもままならず、粗相してしまうことも多い。
 邦男さんは後始末をしながら、「自分は弱い人間だから、弱い人を受け入れられる。歌にすることで、なんとか受け入れているってところがある」と語る。

笑ひ顔だけは 昔の
母にして 
ケイトウの赤い花を
よろこぶ

 辛さが募る中、老いゆく母親の笑顔は変わっていないことに気づく。
 花に反応する孝子さんを散歩に連れ出して、花屋で一緒に母の好きな赤い花を買って食卓に飾る。にこにこと微笑む母。

あとどれ程
生きられるだろう
穏やかな死顔の様に
眠れる母は

 母の徘徊が心配で、早朝の勤務を切り上げて帰ってみると、鍵が開けられていて母の姿がない。
「母さん!母さん!」
と、夢中でとび出す高山さん……。

外に出ては駄目と
言ふのは無駄なのか
たった一つの
お願ひなれど

 大変な介護の苦しみから、自(おの)ずと溢れ出てくるような高山さんの短歌に触れると、心の片隅に潜(ひそ)む伊藤整(作家)の言葉が甦(よみがえ)り、歌とは何かという本質を突きつけられる。
 「芸術とは、生命をそれの働きという実質でとらえるために、人間が作り出した認識の手段ではないだろうか…」
 受けを狙って、小器用に言葉をこねくり回して、短歌や俳句らしきものを作っている自分が恥ずかしい。

 深夜の仕事を終えた後、過酷な介護に笑顔を忘れずに取り組む高山さんの姿を見ていると、なぜそこまで母親のために
尽くせるのかと疑問すらわいてくる。
 しかしその答えも、高山さんの優しさ溢れる短歌が教えてくれる。

ポンコツに なって
しまった母だけど
笑顔がぼくの
こころを救ふ 

           (松川町元大島)

2018/04/29

永続的リンク 11:52:38, 著者: ikuu メール , 1 語, 12 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: ささやかな願い

日本語であそぼ


「おーい 雲よ 222」
         鋤柄 郁夫
にほんごであそぼ

 「フロリダ(・・・・)」という言葉が、若者の間で流行っているという。さて、お分かりになりますか?       
てっきりデイズニーワールドに関わる言葉だと思ったら、「これから風呂に入るからから(スマホから)離脱(りだつ)する」という略語だという。
 これは、あくまで一つの例で、今や若者の間では略語が繁殖して、何を話しているのか分からないこともあるらしい。
 そういえば、プレハブとかリストラという言葉もすっかり居座っている。
 NHKですら、時代に迎合してか「午後のラジオ」のことを「ゴゴラジ」等と、わざわざ省略語を使い始めた。
 「見れる」「聞ける」など「ら抜き言葉」が騒がれたこともあったが、今や日常生活の中で堂々と使われている。
 言葉の乱れは、国の乱れというが、この状況をどう考えたらいいのだろう。
 
 「にほんごであそぼ」というNHKのテレビ番組がある。
 わずか10分の短い番組であるが、出演者や内容が素晴らしく、リズム感のある演出がいい。
 例えば、中村勘九郎の歌舞伎、野村萬斎と裕基(子息)の狂言、竹本織太夫らに
よる人形浄瑠璃文楽などが名場面の名セリフを演じてくれる。
 先頃は、夏目漱石の「牛になることはどうしても必要です」という一文を、実に巧妙に紹介してくれ、丑年の私も初めて知って嬉しかった。
 また、番組監修の齋藤孝教授が、「名文を体の中に入れるのには、歌が一番です。美しい、楽しい、力強い言葉が子どもの
心を豊かな森にします」というように、言葉を大事にした歌が楽しい。
 「私と小鳥と鈴と」「一茶の雀」「我輩は
猫である」「風の又三郎」「寿限無」・・・。
 高村光太郎の「道程」や、中原中也の「汚れっちまった悲しみに」、そして与謝
野晶子の「みだれ髪」も登場した。
 この頃は、島崎藤村の「初恋」を藤原道山が作曲し、道山の尺八と白原暢子の琴で演奏された。

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えし時
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

 尺八と琴の名人が、可愛い子供の演技に囲まれての演奏する姿が微笑ましい。
 他にも、「十二支」「春の七草」などの数え言葉・ことわざ・慣用句やつけたし言葉が面白い。
 さらに、一茶や芭蕉、啄木や百人一首などの俳句や短歌、早口言葉や有名な詩や小説と盛りだくさんに展開される。
「秘すれば花」「我思う、故に我あり」「初心忘るべからず」といった哲学的な言葉まで登場する。

 『徒然草』(吉田兼好著)にも、当時
の言葉の乱れを嘆いた段があるが、いつの世も現われる現象なのだろうか……。
それにしても、「にほんごであそぼ」で、楽しく『日本語感覚』を身につけた子どもたちの未来に期待するばかりだ。
 そんなことを思っている間も、こんな若者の会話がテレビから流れてきた。
 「あー、仕事行くのマジメンデイ-。バイブス下がるわー。つらたん。誰かツイッターでかまっちょ」

          (松川町元大島)

 

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