「パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる」
ある新聞にホームレスの方の歌が載っていました。
 政治も経済も教育も社会も、混乱と閉塞の霧の中であるといわれています。
 今は、じっと、暗い闇の底から上を見上げて、青空を流れる雲に望みを託し、
まず身近な方々と手を携えて、あたたかい家族や地域づくりの種まきをする時かもしれません。
へちまの種をまこうかな
どんどんのびて実をつけて
風にふらふら揺れたなら
隣で泣いてる赤ちゃんの
ごきげん すっかり直るかな(胃空)

2017/12/11

永続的リンク 14:38:32, 著者: ikuu メール , 語, 閲覧なし   Japanese (JP)
カテゴリ: ささやかな願い

最期のメッセージ

「おーい 雲よ 213」
          鋤柄 郁夫
最期のメッセージ

日野原重明先生(聖路加病院名誉院長)が105歳で亡くなられた。
 数年程前、飯田文化会館で百歳を前に
してステージを歩きながら、元気にお話された姿が眼に浮かぶ。
 医師としてのお仕事はもちろん、世界中の人々の幸せのために、全身全霊をかけて生きぬかれた先生の存在の大きさは計り知れない。

 弱い人、苦しんでいる人に心を注がれる日野原先生は、苛(いじ)められ不登校となった少年・小林凜君にも温かい心を寄せられた。(以下の文・掲載写真は『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』<ブックマン社>より)
 俳句に生きがいを求めていた小林少年は、その俳句に目をとめ励まし続けてくれた先生を心の師と仰ぎ、こんな俳句を贈っている。
聖路加の
師にいだかれて
虹の橋    凜
 それを受けとめた日野原先生は、こんな俳句で応えている。
君たちの
使える時間
それが命(いのち)  重明

 9月に『生きていくあなたへ』日野原重明著(幻冬舎)が出版された。(以下この本より抜粋)
 表紙には、“105歳どうしても遺したかった言葉”とあり、帯には“死を目前に紡がれた、生涯現役、渾身最期のメッセージ”とある。
 多くの人々との対話の形でまとめられている内容の最後は、亡くなる数ヶ月前、ベットの中での命がけの語りが綴られている。
 死を目の前にして、なお心の底から溢れ出るような一言一言は、あたたかく胸に突きささる。

「今日がみなさんとのお話の最後ですね。
今日の日を迎えることができることが感謝です。
・・・・・
 重い病を持っているからこそ、その病を克服して、よく今日この時を持つこと
ができたなぁっていう、感謝の気持ちがいちばん強い。
・・・・・
やっぱり苦しみと同時に喜びが、あるんだなあと・・・。
・・・・・
みなさんとね、こういう風に心の中を割って話ができて・・。
今日このような、美しい青空を見てね、
この青空を見上げる私達の瞳。 
これは最高のもの。
この最高を、私達は感謝しないと・・・。
・・・・・
私の一番好きな言葉は「エンカウンター」
・・・・・
私達の喜びを、自分の懐(ふところ)だけに入れるのでなしに、この喜びをどうすればみんなの喜びとして、持ち続けることができるかということを、いまさらながら、強く感じるのです。
・・・・・
そのことを、もっともっと真剣に考えて、
お遍路さんのように旅に出るようなそんな感じがして・・・。
・・・・・
今 私は、新たな旅立ちの心意気を感じています。
言い尽くせない感謝の気持ちと、言い尽くせない喜びを胸に、修行のようなこの旅を・・・、静かに、トボトボと、もう少
し続けたいという気持ちがしています。
・・・・・
          (松川町元大島)


2017/11/26

永続的リンク 14:10:16, 著者: ikuu メール , 語, 4 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: ささやかな願い

「おーい 雲よ 212」
            鋤柄 郁夫
読み聞かせ

「“読み聞かせ隊”に入りせんか?」と声をかけていただいた時、ふっと心に浮かんだのは、柳田邦夫さん(作家)の言葉だった。
 以前、「飯田市図書館まつり」で、“読むことは生きる力に”と題して柳田さんの講演があった。
 お話の中で、ご自分が翻訳された絵本『だいじょうぶだよ、ゾウさん』をめぐるこんな逸話も紹介された。
 担任の先生からこの本を読んでもらった男の子(小一)が、ゾウとネズミが仲良しというだけではなく、ゾウを亡くなった叔父さんに、ネズミを自分に置き換えて
感想を綴った。
 その切々たる文章を読んで、読み聞かせをした先生は思わず泣いてしまったという。
 柳田さんはこの話などを通して、実体験につながる読み聞かせは、「言語力がつ
き、細やかな感情が育ち、人間関係の理解が深まる」と言われ、子どもたちの「命と心を育む」と説かれた。

 「読み聞かせ」を引き受けたものの、何をどうしたらいいのか分からず、先輩の皆さんにお聞きしたり、それらしき本を読んでもみた。
 子どもたちに語り伝えたいことは山ほどあるし、何よりも「読書の素晴らしさ」を感得してもらいたい。
 とりあえず絵本を中心に10冊ほど選択し、朗読の練習を開始した。
 『だいじょうぶだよ、ぞうさん』『大きな木』『ひろがる』・・・どれもこれも名作であるが、私の手に負えない。
 困り果てて思いついたのは、感動した映画を短い紙芝居にして、思いを込めて語ってみようということだった。
 さっそく制作?にとりかかったのは、映画『世界の果ての通学路』(フランス)である。
 この作品は、ケニア、モロッコなどの子供たちの通学の様子が、実にリアルに撮影されている。
 ケニアの兄妹は、毎年数名の犠牲者がでるというゾウやライオンがいる草原を、
命かながら片道15㌔を学校へ通う。
 インドの3兄弟の通学も胸を打つ。
 兄は体が不自由で歩けない。弟ふたりは、医者になりといという兄を勉強させてやりたいと、おんぼろのリヤカーに兄を乗せて、泥にはまり、川の中を渡りながら4㌔の道なき道を学校へ通うのである。

 この春、松川中学校1年の教室で「読み聞かせ」のデビューを果たした。    
床に座って円形で聞いてくれる生徒さんを前に、緊張でがたがた体が震えたが、それ以来、チャップリンの『モダンタイムス』にも挑戦して、中央小学校にもお邪魔している。
 「読み聞かせ(・・・)隊(・)」の「聞かせ」という上から目線の語感や、「隊」という言葉には少々抵抗もあるけれど、爽やかに取り組んでおられる20名余の皆さんの情熱には、教えられることばかりである。
 「一隅を照らす」素晴らしさを実感しつつ、子供さんから元気を戴いている。

           (松川町元大島)

2017/11/16

永続的リンク 09:48:22, 著者: ikuu メール , 語, 6 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: ささやかな願い

無言館をうたう


「おーい 雲よ 211」
          鋤柄 郁夫
無言館をうたう

人はみな
 絵を描きたい
生きている
 自分を描きたい
生きている
 仲間を描きたい
生きている
 世界を描きたい
愛する
 父母を描きたい
愛する
 故郷を描きたい
愛する
 あなたを描きたい

一台の戦車も
一つ武器も
傷つける者も 傷つ
けられる者もいない
この地上に
生きるものすべての
笑顔を描きたい

「こわしてはいけない~無言館をうたう」と題する混声合唱組曲をメインに、第8回平和音楽会(うたごえサークル“ざざむし”主催)が、駒ヶ根市で開催された。
 「無言館」(戦没画学生慰霊美術館)の開館20周年を記念して、館長・窪島誠一郎さんが作詞、作曲家・池辺晋一郎さんが作曲した6章からなる大曲である。
 1章は「人は絵を描きたい」というタイトルの冒頭の詩で始まる。

 音楽会のはじめに、窪島館長さんはがご自分の出生から無言館の起ち上げまでの経緯、そして戦没画学生の絵について言葉を噛みしめながら語られた。
 「・・・画学生が出征を前に、ただひたすら描きたいという思いの込められた絵は、“人はいかに生きるべきか”を、無言のうちに人々に問いかけてきた。
 出征を前に(あと少しだけ絵を描かせて下さい!)と、絵筆を持ち続けたという若者・・・。
 “死刑執行の猶予期間”といわれる出征までのわずかな時間を、精一杯生きた画学生。・・・」          
館長さんのお話をお聞きしていると、無言館の絵一枚一枚が浮かんできて、戦場に散っていった若者の情熱と無念さに胸打たれた。

 折しも、「折々のことば」(朝日新聞)に、『人間の限界』(霜山徳爾著)のこんな一文が載っていた。
 「・・・死者のすごしてきた人生のキャンバスの上に残る、描かれざる余白を、われわれは恣意(しい)的にぬりつぶすわけにはいかない」
 この一文に、鷲田清一はこんな言葉寄せていた。
 「・・・人の死とともに亡骸(なきがら)は腐りゆく。
が、亡き人の(面影)は人々の中で生き続ける。消え去ったものとしてではなくて、
残された者に、折にふれて生の意味を問いかけるものとして」
          (一行分 あける)
 音楽会の後半、組曲の6章「抱きしめよう」が、見事な合唱で館内に響きわたりり、大きな感動につつまれた。

失われたあの日を
抱きしめよう
うばわれた思い出を
抱きしめよう
小さな「地球」を
抱きしめよう
悲しみを 喜びを
苦しみを 憎しみを
 抱きしめよう

水を求める人を
 抱きしめよう
ひもじい子たちを
  抱きしめよう
見知らぬ国の友を
  抱きしめよう  
悲しみを 喜びを
苦しみを 憎しみを
 抱きしめよう

      (松川町元大島)
 

2017/10/28

永続的リンク 09:44:50, 著者: ikuu メール , 語, 5 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: ささやかな願い

一打の鑿 運慶

「おーい 雲よ 210」

            鋤柄 郁夫
一打の鑿(のみ)

運慶の夢には心ひかれた。
 『夢十夜』(夏目漱石著)の中の第六夜は、護国寺の山門で、運慶が仁王を彫っている大要こんな夢である。
 「・・・厚い木屑を飛び散らしながら、豪快に鑿(のみ)を打ち込んで、太い眉から怒りの鼻を浮き上がらせていく運慶の手さばきに感心した“自分”が呟(つぶや)く。
 (よくあんなに無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな)
 すると、それを聞いた隣の男が言う。
 (なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。
 まるで土の中から石を掘り出す様なものだから、決して間違う筈はない)
 その言葉に促(うなが)された「自分」は、家に帰って手頃な木を片っ端から彫ってみたが、仁王は出てこなかった。
 ついに、明治の木には仁王は埋まっていないものだと悟り、運慶が今日まで生きている理由が解った・・・」

 若い頃この文章に出会ってから、浅はかにも私も何とか仁王を掘り出してみたいものだ、と思い続けてきた。
 物好きだけでは及ばないことは分かっていたが、円空が彫った仏様のあの魅力ある鑿の跡を見るにつけ、願望は消えることがなかった。
 そんな折、紙上で『手のひら地蔵を彫ってみませんか』という木彫教室の記事を発見した。
 「現世に生きる苦悩や迷いに、光を灯して下さる地蔵尊を彫ってみませんか・・・」という紹介の言葉が、長年の欲望に火をつけた。
 さっそく出かけた教室には、老老男女20人ほどの生徒がいて、丁寧な先生のご指導をいただきながら、熱心に彫り始めた。
 鑿の持ち方、使い方、木目の活かし方から、先ずは荒彫り、基本は仏頭から等々、初心者の私にもよく分かる助言を下さり、10㎝角の木との格闘は、時間を忘れる
ほど楽しかった。
木からお地蔵様を掘り出すなどといった崇高ことなど夢のまた夢であったが、約6時間で写真の程度の形が出来上がり、心穏やかな1日をいただけた。
 
 鑿(のみ)と言えば心に浮かぶのが、木村素衛(哲学者)の『一打の鑿』という文である。
 「彫刻家が大理石を刻むとき、何の変哲もない石塊の中に、美しい形をみているのだ。
 そして鑿の一打一打によって、不要な物を取り除いていく」
 「ミケランジェロは石塊に宿る生命のうめきに耳を傾け、鑿をもってその誕生を助けつつ、闇を見破って形を光のうちに取り出していく人であった」
 「天平の仏を刻んだ人々は、一打一打が信仰の絶対的表現であったに違いない。   
 一打の鑿において、悉皆成仏が行ぜられるのだ」
        
 心の奥にあった『夢十夜』の運慶の鑿には、夏目漱石の美意識と祈りが秘められてことを、10㎝角の木材と戯れながら感じ入った木彫教室であった。

          (松川町元大島)


2017/10/24

永続的リンク 09:44:01, 著者: ikuu メール , 語, 3 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: ささやかな願い

障害を持つ方との俳句


 
                                              先日 心に障害をもつ方たちと俳句づくりを楽しんだ。
先ず 5/7/5のリズムを一茶の俳句など例にして
紹介し 体感してもらった。
雑談を大事に はなされる言葉を受けとめながら話題
を膨らませていった。
次に 写真を何枚か提示しながら 情景を語り合って
いると 次第に5・7・5にリズムで俳句が生まれて
くるではないか・・・・・!
感動の1時間であった!!!

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